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77thStreetのエリム・チュウ氏は、シンガポールのファッション史の変革者

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シンガポールのファッションを変えた女性

77thStreetは、日本の「原宿系」と呼ばれるようなシンガポールのストリートファッションの草分け的存在のブランド。

創業者は、この人なくして、シンガポールのファッション史は語れないという伝説の女性、エリム・チュウ氏。

店名の数字「7」は、perfectionとかcompletionという意味があり、神は世界を7日間で作ったという話から取ったという。

チュウ氏は、シンガポールの学校が嫌いで、イギリスに住む従兄を頼りロンドンへ。
そこで、何をしたらいいかわからず、美容師のコースへすすみ、自己表現に目覚め、ヘアスタイリストとしてキャリアをスタートした。
ヴィダル・サスーンにもいたチュウ氏は、シンガポールへ戻ると、退屈な国の中で面白いことは何一つなかったという。
パープルの髪に左右違う色の靴を履いた変わった自己表現は、変わり者といわれる反面、「身につけているものを売って」と言われ、21歳で始めたヘアサロンで、ロンドンの従兄から送ってもらったファンキーなグッズを販売したのが、「77th Street」のはじまりだという。

閉鎖するサロンのオーナーに、儲かってからお金を返せばいいと言われ、わずか1000ドルの資金で始めたという。
当初、椅子を買う程度しか資金の無い中で、ハサミと必要最小限でオープンした。
ヘアサロンのいいところは、現金がすぐに入ってくるところだという。
お金が貯まると、スチーマーを買い、ヘアドライアーを買い、と、無理のない段階を経てサロンを育てていった。

1988年、ファーイーストプラザに、6㎡程のセレクトショップ「77th Street」を1万5000ドルの資金でオープン。
あまりにもファンキーで、最初は赤字続き。
しかし、誰もが必要とするヘアカットをするヘアサロンは順調な経営で、「77th Street」を支えた。

 

ビジネスにおいて、キャッシュフローは非常に重要だ

「77th Street」は2,3年は全く利益がなく、経営が軌道に乗るまでには苦労があった。
店舗を構えて物販を行う場合、商品が売れなくても、家賃や人件費は支払わねばならない。
結局、キャッシュフローが止まれば失敗してしまう。

「77th Street」は、ヘアサロンからの現金収入に支えられて挑戦を続けることができた。
仕入先を増やすために、世界中を旅して、格安の飛行機やホテルに宿泊し、怖い思いをすることもあったという。
そうしているうちに、ファッションというのは、本当の自分を表現するものだと、自己へ表現に気づいた若者が集まりはじめ、「77th Street」がストリートファッションの最先端だというイメージが定着した。

10代、20代の若者達のファッションメッカになったファーイーストプラザには、ストリートファッションを扱う店が集まり、益々、活気が生まれる。

一方で、ヘアサロンも順調に拡大。
16のチェーンを持ち、顧客にはスポーツ選手や有名人も名を連ね、シンガポールで最大のヘアサロンに成長した。

しかし、二足の草鞋はいつまでも履けない。
チュウ氏は、サロンを後進に譲った。
かつての自分のスタートと同じく、儲かった時に、返せばいいと。

 

中国北京出店の失敗

中国北京に出店もしたが、失敗。
しかし、それも、最初から、中国で失敗した人の話を聞いていたら、挑戦する気持ちはなくなっていただろうと言い、知らなかったからこそ、挑戦し、自分で気づくことができたのだと前向きにとらえる。

「77th Street」は、若者のファッションリーダーとなるだけでなく、彼らの心を支える存在にもなった。
「77th Street」は、若者たちの悩みの吐き出し場所でもあった。
ビジネスが拡大した今でも、「77th Street」コミュニティーが成り立つウェブサイトや、「Get A Life」会員システムを全77th Streetショップに導入し、会員割引、買い物の際のポイント制度などが利用できる他、イベント情報、若者向けの起業家養成セミナー等の教育プログラムの情報等、若者たちの居場所を作っている。
現在、10代から30代半ばの10万人を超える会員数がいる。若者の声を集めた、『My Voice』というタイトルの本も出版。

2001年にシンガポール中小企業協会(ASME)から年間最優秀女性起業家賞を受賞し、2004年には、77th Streetがシンガポールブランドとして特別賞を受賞、2010年には、Forbesが発表するheroes of philanthropyを受賞。
チュウ氏は政府や企業を巻き込んで、若者たちのための産公連携の支援組織や団体を立ち上げ、彼らが抱える問題に挑み、自活の道を拓くプロジェクトリーダーとなった。

 

社会起業の重要性

チュウ氏は、お金については、普通のビジネスよりも社会起業の方が、もっと重要だという。現金がなくては、今、目の前に困難を抱えている人を助けられないのが現実であると。
普通のビジネスは、自分たちの問題であるが、社会起業の場合は助けるべき人がいて、同時にビジネスとしても成功していなければ続かない。普通のビジネスよりも、より多くの人が関わり、それぞれが、自立していなければ成り立たないという。

困難な境遇にある人にお金を渡すのではなく、不動産を売ってもらう事業では、一件の成約が大きなお金を生み、生きる気力を失っていた人が活力を取り戻し、より成長を遂げることができる。

また、車いすでないと生活のできない人に電話応対を頼み、松葉杖の人には物件の留守番をしてもらったりと、1件が成約すれば、それらの人々にも対価が払われる仕組みを作った。

チュウ氏は言う。
「起業家は、たくさんのアイデアがある。しかし、それを形にしてくれる執行役の良いパートナーを探し出すことが鍵だ」と。

人間には、一日が24時間という限られた制約がある。
その中で、自分一人ではなく、経営管理、世界的視野をもった能力のある人が重要となる。
「ビジネスを拡大し成功するためには、ビジネスを支える資金、ビジネスを築く人材、そして、ビジネス展開のためのネットワークが必要だ」

ビジネスプロデューサーを目指す者にとって、彼女の生き方は、参考になるに違いない。

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