栄養学の歴史にビジネスプロデューサーの存在あり!

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栄養学という学問は、1871年(明治4年)に、医学の一分野として、ドイツ人ホフマンによって栄養についての知識を日本に役立てるようにと伝えられたことがはじまりでした。日本の学術・教育のはじまりの時でした。同時期には、福沢諭吉・小幡篤次郎共著の初版『学問のすゝめ』が1872年(明治5年)2月に出版されています。栄養学に関しては、1914年(大正3年)、栄養学の祖と呼ばれる佐伯矩(さいきただす)氏による、営養(栄養)研究所が創設されました。

 


 

2016年3月30日に、東京浜町にある康復医学学会にて「おいしい母乳研究会」発会式が行われました。

顧問に就任された日本医療栄養センター所長の井上正子先生に栄養学の歴史についてお話を伺いました。

 

インタビュアー 小幡万里子(以下小幡):井上先生は栄養学の世界にお入りになって、どのくらいになられるのでしょうか?

井上正子先生(以下井上 敬称略):18歳の時に女子栄養大学に入学してから、もう50年以上になりますね。

小幡:栄養学という分野の歴史とは、どのようなものなのでしょうか?

井上:学問の研究が著しく伸びる時というのは、世の中に多くの人が困っている課題がある時なのですね。たとえば、ある病気が流行って、その治療のために研究をしなくてはならなくなって、国をあげて研究費の注入をしたり、民間からの支援を集めたりと。ですから、好ましくはないのですが、実は、「戦争」という国家の一大事の時に、栄養学も学問として研究が進みました。

小幡:航空機やレーダーなど、技術的な革新を進めたのは戦争があってこそ、インターネットの進化も戦争を視野に入れた新たな世界大戦というお話をよくお聞きしますが、元々「営養と表わされた養分を得るための営み」である食事を探究する栄養学も、戦争が背景にあるのですか?

井上:大日本帝国の明治期には、脚気が流行していたのですね。特に、東京などの都市部、陸軍の鎮台所在地である港町で流行していました。死亡率も高かったのです。軍としては国を守るために、お国のために尽くせる健康な若者であってもらいたいですよね。そこで栄養が着目されるようになったのです。「江戸煩(わずらい)」という言葉をご存じですか?

小幡:江戸しぐさという「少しの譲り合い」という言葉が平成時代にメジャーになってきましたが、ちょっとネガティブな「江戸煩」という言葉もあったのですか。

井上:そうですね。言葉としてよくないことのように思えますね。江戸の富裕層の人たちは、玄米でなく精米した白米を「おいしい」からと召し上がるようになりました。精米するということは、玄米より嵩(かさ)が減りますし、一手間かかることから、都会で富裕層の人が食べるものとして、田舎や地方の人にとっては憧れだったのですね。なにより白米は「おいしい」ご飯でしたので。
当時、地方から都会に出稼ぎで出て来た人たちが身体を壊し(ビタミンB1不足で脚気を発症)、田舎に戻って玄米や麦飯を食べていると元気になることから、玄米に含まれるビタミンに、身体にとって良い成分があるのではないかと注目し調べる人が出てきました。
「煩う」という言葉には、心配する・悩むという意味がありますが、悩むだけでなく、現実に目の前にある問題として解決しようという気持ち(原動力)になるとすると、困ったことも決して悪いことではありませんね。

小幡:ああ。そうですね。私も経営者の方々とお話をさせていただくことが多いのですが、経営も決して順風満帆ではないので、その壁にぶち当たった時、それをどう乗り越えていくか・・・と、逆に前に進む原動力になられる方が成功されていらっしゃいますね。

 


 

井上:作家の森鴎外は、陸軍の軍医で、ドイツの医学を学びました。陸軍軍医総監(陸軍軍医の最高職)まで登りつめたのですが、脚気は細菌が原因だという「脚気伝染病説」を主張し、陸軍の兵士は海軍に比べ多くの脚気による死者を出しました。当時、ドイツ医学で学んだ人たちは、細菌学や分析学という最先端医学に囚われ、それ以外の学術論を頭から受け入れることができませんでした。
一方、東京慈恵会医科大学の創設者で、脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる高木兼寛海軍医(最終階級は海軍軍医総監(少将相当))は、イギリスで医学を学んでいました。イギリスは海洋国であり、壊血病の予防にレモンやライムなど柑橘類に含まれるビタミンが有効であると明らかにされていました。高木は、研究者ではなく一医学生として留学していたので、それらの研究結果を知らなかったのですが、「根拠に基づく医療」を特性とするイギリス医学に依拠し、海軍兵士の階級と患者の発生を調べました。その結果、エビデンスとして、脚気には食物内容が大きな影響を与えていることを突き止め、兵隊たちの食事を、白米から玄米・麦飯に変えさせました。その時の論文には、成人男子に体重別にどれだけの栄養成分が必要かといった詳細な摂取量も記載されています。結果、海軍では、翌年から脚気患者が激減しました。一方、陸軍では、脚気の患者は多数でました。

1894年に始まった日清戦争では、記録によると、麦飯の海軍では脚気患者は1人もでなかったのに対し、白米の陸軍では4万人を超える患者で、入院患者の四分の一が脚気、傷病兵数の11倍の兵士が脚気であり、死者は4千名を超えたといいます。日清戦争から10年後の1904年の日露戦争でも、日清戦争で相当数の脚気による被害を出したにもかかわらず陸軍は、やはり白米主義をやめることはありませんでした。海軍は105名の脚気患者、陸軍は25万人の脚気患者が出た記録が残っています。

※ 参考資料:高木兼寛の脚気の研究と現代ビタミン学 – 東京慈恵会医科大学 松田誠 著

 

小幡:森鴎外といえば、高校国語教科書の定番で『舞姫』は戦後60年読まれていますね。鴎外が権威にしがみつく様子が描かれていますが、東京大学医学部というエリートとしてのプライドが、鹿児島医学校でイギリスに一医学生として留学しただけの高木軍医に負けまいという意識に囚われて、戦争に勝つという大義のために、兵士の健康を実態に即して基本を考えることができなくなってしまったのかもしれませんね。ビジネスプロデューサー協会でも、「ビジネスのコンセプトを見失ってはいけない」ということは常々お話しているのですが、渦中にあると見えなくなる人が多いですね。

井上:当時、東京大学は、日本を牽引していく人材を育成する教育機関でしたから、あくまで最新の細菌学に間違いがあるわけがないという強い自信をもっていたのでしょうね。高木の説に対し、東京大学の緒方正規は「脚気病原の細菌を発見」したという論文を大々的に発表し、その後、東京大学医学部を筆頭に、村田豊作(東京大学生理学助手)の反論、大沢謙二(東京大学生理学教授)による反論がなされ、海軍省として「麦飯を食べると脚気が減少する」という疫学上のエビデンスは得られていたにも関わらず、消化吸収試験の結果を持ちだし、食品分析表に依拠した高木の脚気原因説と麦飯理論は、机上の空論と断定されてしまいました。
しかも、後には、高木のエビデンス潰しのために、麦飯は兵士の士気を低くすると麦を海に捨てさせたり、陸軍の脚気患者数を別の病名に変えて脚気患者数を意図的に減らして記録したという記述が残されています。

小幡:本来、国同士の戦いに勝つために国を上げてそこに向かうべきなのに、海軍と陸軍、エリートとその道でない人間とで、そのような争いが繰り広げられていたことは残念ですね。高木軍医のように、本当に兵士の健康を思う者が、きちんとエビデンスをもって発表するということは、当たり前のことと今では思いますが、過去の頑なな常識から脱け出せず、自分達の学術論を守るという利己的・保守的な方向に向かうと真実が見えなくなりますね。

 


 

井上:栄養学は、人間の体を形成し、健康を維持し、左右する非常に大切な学問ですので、時代を超えて環境に伴いつつエビデンスをもって、なにより人という個人に適した栄養学が求められてきています。食糧不足による偏った栄養状況が飽食に向けて急転換し、足りないものを補う栄養学から、健康管理の手段として予防という健康診断に加えた食生活教育を担うようになってまいりました。
私も栄養学を専攻する研究者の一人として“医療と栄養で健康をつくる”を目標に日本医療栄養センター所長に就任し、「食生活ウォッチング」という医師と管理栄養士が、家族単位で、個人に対して手書きの適切で丁寧なアドバイスを継続して行っていく通信制の栄養指導システムを始めました。

小幡:おおよその基準というものは大事だと思いますが、栄養素や栄養成分表などの数字を見ても、同年代でも、個々人の体型や体質、生活環境、働き方による時間制約などで、この栄養成分は何で何カロリーですと言われても、果たして本当に自分に適しているのかというのは分からないですよね。

井上:現在、厚生労働省が策定している「日本人の食事摂取基準」は、それまで公表してきた「日本人の栄養所要量」を改定したもので、「健康な個人または集団を対象として、国民の健康の維持・増進、エネルギー・栄養素欠乏症の予防、生活習慣病の予防、過剰摂取による健康障害の予防を目的として制定したエネルギー及び各栄養素の摂取量の基準」としています。5年ごとに最新の食事摂取基準が発表されますが、2015年に、エネルギーの指標をこれまでのカロリーから、身長と体重から算出するBMIに変更しました。
厚生労働省「日本人の食事摂取基準」

これからの栄養学は、よりその人その人に合った食生活を提案できる時代になったと感じています。これまで、私が個人に対して行ってきたアドバイスが、ようやく国レベルになってきてくれたなあと、非常に嬉しく思っております。

 


 

小幡:今回「おいしい母乳研究会」の顧問に就任され、皆様にお伝えされたいことはございますか?

井上:栄養学というと「こうしなければならない」と思われる方もいらっしゃると思いますが、栄養学の元々は「営養学」と表わされていて、生活の中の食事という営みにおいて、健康な体を作るために、どんな食物をどのくらい摂取すればよいのか、ということの学問なのですね。食事は、おいしく食べるとか楽しく食べるという精神的な状況や、出される食事が「キレイ」とか「かわいい」とかなどの感覚的な要素も必要です。人間に取って食事はエサでなく、人間性を育む営みですものね。
特に女性にとって、結婚前・妊娠・出産・子育て・家族生活・老齢期と、ライフスタイルの変化と共に食生活の変化に対応もしていかねばなりません。会長の小堀さんが発会の主旨で述べられていたように、妊娠中の食事から着目して、赤ちゃんが生まれて育つための母乳について、お母さんの食事と母乳の関係や、その母乳の味の変化や、「おいしい母乳」ってどんな母乳んだろう?という素直な好奇心が、エビデンスとして形づくられて、育児をするお母さんたちのために、楽しく役立っていくためのお手伝いができたら・・・と思っています。

小幡:研究会としての課題はどのようなものがございますか?

井上:今の一般的な母乳の研究というと、主に人工栄養や混合栄養を少なくして、いかに母乳栄養を多くするかを取れるか?ということが主目的になっています。母乳を与えられない方のために、人工栄養や強化人工栄養等もあり研究開発も進んでいますが、情報過多や間違った情報提供などもあり、正しい情報を得る賢さも身につけていかないといけないですね。
「おいしい母乳」と感じる母乳を数値化することで、食生活の改善につながっていけば、健康的な人生を、胎児の頃から送ることができ、お母さんの健康も維持され、家族も赤ちゃんの誕生によって、食への関心が深まるのではないかと思います。
母乳の味比べというのは、とてもストレートで面白い試みだと思います。課題としては、衛生管理、妊娠という個人的な出来事ですので安心できるコミュニティ作り、継続した関係作り、実験的方法の確立とペーパー的に書き表す方法の確立などが上げられるでしょう。

小幡:母乳は白い血液と呼ばれていると聞いて驚いたのですが、母乳の成分は血液なのですか?血液なのに赤くないのが不思議ですね。

井上:女性の体というのは、非常によくできていて、乳房の仕組みで、赤ちゃんが必要な栄養素が母乳として出てくる構造になっています。母体の保護のためにもヘモグロビンは濾過されて、赤血球は母体に戻され、たんぱく質のカゼイン球に光が乱反射して母乳が白く見えます。ヘモグロビンがないと鉄分の心配をされると思いますが、妊娠8ヶ月以降、お腹の中でおかあさんから赤ちゃんに、たくさんの鉄が送られて、「鉄は赤ちゃんへのおかあさんからのプレゼント」と呼ばれるように、離乳開始の5ヶ月頃まではお母さんからプレゼントされた鉄で十分まかなっていける仕組みになっています。が、生後9ヶ月を過ぎると鉄不足には十分な配慮が必要です。

小幡:母乳って、すごいんですね。

井上:母乳には、赤ちゃんを病気から守ってくれる免疫成分をはじめ、たんぱく質、脂肪、糖質などの栄養がたっぷり含まれています。赤ちゃんにとって、お母さんの母乳は最適な天然資源ともいえますね。

小幡:本日は、大変に貴重なお話をたくさん伺わせていただき、ほんとうにありがとうございます。

 


 

「おいしい母乳研究会」会長の小堀夏佳さんから、以下のような初心表明をいただきました。

自分の子育てを通じ、おいしい母乳になれる食事の取り方やライフスタイルの提案を行い、仲間たちと母乳に関する悩みを共有していける場をつくり、改善へ向けてサポートしていくことで、お母さんや赤ちゃん、その家族のハッピー母乳ライフの手助けをしていきたいと思います。目指すは「現代の聖母マリアをたくさん生み出し国力アップ」
そのために、母乳についてのきちんとした理解を深め、検体検査をしてデータを集めてエビデンスを作っていきたいと思います。

おいしい母乳研究会発会式動画

 


 

インタビューを終えて

栄養学の分野で50年以上の月日を過ごしていらした井上正子先生は、非常にチャーミングで、栄養学という専門分野で難しいお話をされるのかなあという不安も、すぐに払しょくされました。お聞きしたことすべて、とても面白く、大きな学びとなりました。
井上先生のお話を伺って、一番に感じたことは、常に「環境は変化し、人も変化する」ということを心において、その変化に合わせた柔軟な対応をすることが大切なのだということでした。
戦争中の高木兼寛軍医は、東大学派から離れていたがゆえに、病気の原因は細菌であるという当時の医学の常識である既成概念に囚われることもなかったのでしょう。戦争という時代に、闘いではなく脚気で命を落とす兵士たちの姿を見て、心から憂い、なんとか解決しなければならないという、自分に課した使命によって、江戸時代から庶民が悩まされてきた脚気の原因究明に必死に取り組みました。当時の机上の学術論文でなく、海軍の海上の船という現場で、体温のある兵士たちに触れることで、医師としての「この原因は食べるものにあるのではないか」という直感が、その後の海軍兵士の脚気患者数減少という成果につながったのだと思います。
ビジネスプロデューサーには、既成概念の打破が必要であるとお伝えしております。それは、やみくもに何かを壊すのではなく、直感を事実として表すエビデンスを取ることが、そのはじまりでしょう。高木軍医もビジネスプロデューサーと呼べる存在です。しかし、東大医学部という国家に近い大きな存在に、その口を塞がれてしまったともいえます。同様な課題を抱えているビジネスプロデューサーもいらっしゃることでしょう。

井上先生は、1989年に日本医療栄養センターを設立し、医療に栄養学(食生活)を組み合わせ、個人の年齢や体質、環境という様々な要因を背景に、最適な健康生活の提案を続けるという地道なご活動をされていらっしゃいます。高木軍医も、紙の上で患者を診るのではなく、その人を観て病気の原因を探るという非常に探究心をもたれた方でした。

改めて感じたことは、探究心とは、自分の知識が増えることを喜ぶことではなく、誰か(その相手が大きくなれば社会や環境、世界となるのでしょう)の抱えている「煩い」の原因を探り、その解決策を的確に提案することなのだということを、井上先生をはじめ、栄養学の祖と呼ばれる方々から学ばせていただきました。ビジネスプロデューサーにも、ビジネスプロデューサーを目指される方にとっても、大きな学びとなると思います。

 


 

井上正子先生プロフィール

東京都出身。女子栄養大学卒。1989年、日本医療栄養センターを設立。
地域住民や市町村、企業への食生活改善指導、特定保健指導に従事する。1977年には母校である女子栄養大学の栄養学講師に就任。その後、順天堂大学医学部の講師、日本大学松戸歯学部の講師を経て、栄養・医科・歯科の3分野で講師としての実績を上げる。1988年、日本臨床公衆栄養研究会を設立し、会長に就任。1997年に練馬区栄養士会の会長、2000年に同会名誉会長、2003年には北里大学保健衛生専門学院栄養専門課程管理栄養科の専任教授を務めるなど数々の要職を歴任。現在は日本医療栄養センター所長として、また子どもから高齢者まで幅広い世代の健康管理指導者として、講演活動や執筆活動をはじめオールラウンドに活躍中。

日本医療栄養センターHP

 

参考資料:

Wikipedia 栄養学

Wikipedia 日本の脚気史

Wikipedia 高木兼寛

Wikipedia 森鴎外

 

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