未来の医療に希望の光!青木病院のグランドデザインから学ぶ

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【ホッとあたたかい青木病院】

2016年1月12日。あたたかな年初であった2016年。その日は、最低気温が1度となり、雪がちらつく寒さとなった。

東京都調布市にある青木病院の管理者 青木誠医師を訊ねて、病院の入り口を入ると、1階の受付のあたたかさが冷えた体に染み入ってきた。

約束の時間よりも30分も早く到着した筆者を、応接室に通してくださり、

「今日はほんとうに寒くなりましたよね。青木先生に、ご到着されたことをお伝えしてきます」

と、来院者に安心を与えるスタッフの笑顔に、ホッとさせてもらった。

青木誠医師は、慶應義塾高校時代、射撃部で活躍され、帝京大学医学部時代はアメリカンフットボール部に所属されていたスポーツマンである。

卒業後、脳神経外科の研修医として勤務。

その初日に、独立行政法人国立病院機構理事長である桐野高明先生(東京大学大学院医学系研究科脳神経外科学教授・同研究科長・医学部長・東京大学副学長・独立行政法人国立国際医療研究センター総長などを歴任)から「ネクタイなんて患者に当たって邪魔になる」と怒鳴られたのが医師としての第一歩だった。

青木病院は、歌人であり精神科医の斎藤茂吉氏の従弟 青木義作氏が東京青山の地に1945(昭和20)年に青木神経科として開業した。

1962(昭和37)年11月に、現在の調布市に青木病院を開設。

現在、ストレスケア病棟 40床、精神科開放病棟 60床、精神科閉鎖病棟 120床、精神科認知症疾患治療病棟 50床、内科病棟 50床、合計320床の病床を有す。

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【病院は穢れの場、病院は無い方がしあわせ】

青木医師から最初に出た言葉は、

「病院が自分の生活のそばにあって嬉しい人なんていないものです。我が子の通学路に病院の排気口が向いていたら、そこを通らせたくはないという本音を無視することは、私にはできません。スタッフにも、病院は穢れの場。でも、明日は我が身と思う人たちからある意味、許されてここにあるという気持ちを忘れないように・・・と話しているのです。」

 

「医は仁術という言葉を口にすると、いつまでも青いといわれそうですが・・・」

 

と言われる青木医師だが、病というものに関わらざるを得ない人たちにとって、治療すればいい、病院経営が潤えばいいというだけでなく、病と闘う人、そこに手助けをする人、周囲の人、皆が、幸せを感じるように、各々が役割を全うし、その役割の責任を分散することで、互いが監視と協力のマネジメントを行うことができるのだろう。

取材は、青木病院の合併症を扱う内科病棟の面談室にて行われたのだが、その部屋に、理事長であり、青木医師の奥様 浩子氏のフラワーアレンジメントを撮影したカレンダーが飾られていた。患者様やスタッフの方々に、花の美しさ、優しさを通じ、病院内の皆様の気持ちを明るくしたいという想いを感じた。

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【増加する精神病患者数】

― 日本における精神病患者数は年々増えていますが、青木先生は、その原因をどのように思われますか?

「ひとつに、田舎(地方)から都会への人口流入による都市の人口増加があげられると思います。

昔は田舎というコミュニティの中で、人が上手く精神の距離を取れる関係性や人の数が保たれ、いい意味で、田舎であるからこそ、匿((かくま)われていた人たちが、その土地-コミュニティで生活のできる環境に生きていられたのではないかと思うのです。」

 

筆者は、「ヤマアラシのジレンマ」と呼ばれる心理学の話を思い出した。
これは、哲学者ショーペンハウエルの寓話を元にフロイトが考えた人間関係についての例え話である。

ある寒い冬の夜、2匹のヤマアラシが寒さをしのごうとして身を寄せる。
しかし、近づきすぎると互いの針が互いを傷つけてしまう。

とはいえ、離れているのは、やっぱり寒い。

何度も何度も近づいては離れを繰り返し、ようやく互いに傷つくこともなく寒くもない、ちょうどよい距離を見つけ出した・・・

 

過去の日本には、そのように自然の中で、傷つき合いながらも、上手く生きていく術を、田舎に象徴されるコミュニティの中で身に付けることができた時代だったのかもしれない。

 

青木病院は、北杜夫氏の『楡家の人々』のモデル「青山脳病院」が前身である。

現在の調布に移転をした理由は、青山という地に多くの人が集まり、自然が壊されていく中、患者様のために、当時、自然の中での作業療法が主治療であったため、広い自然をもとめたからである。

精神科病院の草分けといわれる都立松沢病院でも、その敷地にある池は、患者様たちが畑仕事の傍ら、治療の一環で土を掘って池を作ったのだという。

 


 

【精神病患者ベッド数世界一の日本】

厚生労働省の調査によると、日本には8,475の病院があり、そのうち精神科病院は1,063と12.5%を占める。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/m15/dl/is1512_01.pdf(平成27年12月末概数)

 

一般病院の精神科も加えたベッド数は335,727床。
全世界にある精神病床の総数は約185万といわれ、日本にある精神病床は世界の精神病床全ての約1/5を占める。

単純な計算でいえば、世界を母数に考えた時、精神科に入院している患者の5人に1人は日本人ということになる。

イタリアでは1978年に制定された「バザーリア法」により精神病院は全廃され、精神病床はゼロである。
トリエステ州の病院の精神科の医師バザーリアの

「精神病は病気ではなく、人間関係など社会的環境の問題である。人間関係は隔離では改善しない。社会の中でこそ取り戻せる」

という思想の元にそれを実践し、それが立証された結果、国として精神病院を全廃したのだという。

・患者自身の意思を尊重しながら、地域で生活できることを前提
・地域精神保健センターを中心として、診療所、デイケアを増やし、在宅(共同生活)で生活が出来る環境を整備
・地域全体での受け入れ体制の中でメンタルヘルスコミュニティを構築

このような改革を行い、精神病院を6年間かけてなくした。

トリエステ州のメンタルケアにかかるコストは半減し、元患者たちは町中で明るく生活するようになっているという。(『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)より)

 


 

【10年前のグランドデザインが少しずつ形になっている】

青木病院は医療法人社団 青山会に所属し、約20年前の1995年、介護老人保健施設 グリーンガーデン青樹が設立された。

以後、関連施設として、指定居宅介護支援事業所 せいじゅ、地域包括支援センター せいじゅ、訪問診療の青明クリニックが次々と立上げられ、これらの施設と連携し、患者様を地域で見守ることのできる治療環境を作っている。

青木医師の専門は脳神経外科であり、救命救急センターにも在籍が長かったことから、精神疾患に身体の合併症を持つ患者様と、器質的精神障害や高次脳機能障害の患者様にも対応できる病院として10年前の2006年に、青木病院に、内科を併設、精神科認知症疾患治療病棟・内科病棟を作り、新たな精神病科の在り方を実践している。

 

※ 器質性精神障害とは、脳そのものの器質的病変により、または脳以外の身体疾患のために、脳が二次的に障害を受けて何らかの精神障害を起こすこと。

 

こうした取り組みは、道なき道を自ら創り出す開拓者と同様、病院スタッフ全員の理解を得るにも時間のかかることで、非常に孤独で厳しい挑戦といえる。

 

青木医師は、高齢化社会といわれ、2020年問題といわれる日本の高齢者介護の未来図を描き、認知症の症状が、介護をする家族の人生までを不幸にすることのないよう、出来るだけ正しい診断や治療が可能になる病院として青木病院を生まれ変わらせたいと今日も努力している。さらに、患者様の経済的負担、精神的負担を減らし、治療に専念できる環境整備も、青木病院では可能になっている。

青木医師は、1年365日のうち320日を病院に寝泊まりしている。残りの45日も、学会やドクターカー乗務などに費やしている。

患者様にとって、信頼できる医師が昼夜問わず傍にいてくれるということは大変に心強い。とはいえ、誰もが自分の生活を他人である患者様のために擲(なげう)てる医師は非常に少ない。

日本の精神病患者様の入院期間は、他国と比較し世界で一番長い入院期間である。アメリカと比較して、平均入院期間は10倍にもなる。

 

青木医師は、多くの患者様と触れ合うことで

「長期の入院生活の末に認知症を併発したとしても、その事で介護老人保健施設などに入所に至るなら、それも「社会復帰」のひとつでは無いかと考えています。」

と語り、認知症になることを悪い事ばかりと捉えてはいない。

 

「精神病は怖いという意識でおられる方も多いのですが、近年、うつ病の方が増え、誰もが明日は我が身という意識を多少はもたれてきておられるようです。

認知症についても、明日は我が身・家族の身として捉えられると、一般の方も、病気への観方・取り組み方に変化が出てくるのではないかと思うのです。」

 

精神科に合併症を診ることのできる内科を置く病院は非常に稀である。

実は、青木病院で合併症病棟が出来てから、特に看護師の方がたが、やりがいを感じる度合いが大きくなったといわれ、非常に有能な働きをしてくれているという。

 

青木医師は声を大にして語る。

「看護師という仕事は決してアシスタントだけではいけないと思います。看護師自らの経験と考えを生かすべきであり、医師に対してもっとディスカッションを求めるべきです!」

 

一般的な病院では、看護師は医師のアシスタント的な業務が多くなりがちだ。

青木病院では、看護師として、一人一人の患者様に寄り添い、その患者様の日常に大きな役割と責任を負う。

そうした人としての尊厳をもったコミュニケーションによって、患者様の状態が良くなっていくプロセスを共に経験できる非常にやりがいのある仕事と捉えてくれているのだそうだ。

 

トップに立つ存在が、ミクロの目とマクロの目をもち、病院全体、医療全体を観ているからこそ、スタッフの方々もその視点を理解し、自分が病院全体、医療全体のために何ができるかを考え、患者様に対峙することができる。

入口を入った時に感じたあたたかさは、温度だけでなく、青木病院の文化と呼べるマネジメントに理由があるのだろう。

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【在宅医療の理解について】

― 在宅医療というのは、自分の家に住んでいる人が受けられる医療をいうのですか?老人ホームと呼ばれる場所と、老健と呼ばれる施設も、高齢者が自宅でない場所に住んでいるということになるのでしょうか?

 

青木医師は現場を非常に大切にされている。一医師として国の在宅医療についての政策への疑問を真っ直ぐにぶつけてくださった。

 

「多くの皆様に、在宅医療の在宅の理解をいただけていないのが現状です。

「介護老人保健施設」は「住宅」ではありませんから「在宅」になりません。

一方「介護老人福祉施設=特別養護老人ホーム」は住宅です。

ここは混乱する方が多いのですが、「介護老人保健施設」に入る事は「入所」と呼びます。

「介護老人保健施設」では「介護保険」が使えますが、医療保険が使えません。
逆も同じで「医療保険で入院中は介護保険のサービスが受けられない」のです。

そこで「介護老人保健施設」に入所している間に必要となる薬代や受診費用は「介護老人保健施設の持ち出し」となってしまいます。そのため、高額な抗認知症薬などが処方し難いのが現状です。

介護老人保健施設」に入所している間の「衣食住」は介護保険で賄われます。ですから、厚労省の目指すところの「在宅」とは、入院(=医療保険で衣食住が賄われる)でも入所(=介護保険で衣食住が賄われる)でも無い状況なのです。

すなわち、自宅・様々な(有料や特養など)老人ホーム・サ高住と呼ばれる「サービス付き高齢者住宅」・小規模多機能住宅などに「住む」事なのです。」

 

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000061944.html
(厚生労働省HP「在宅医療の推進について」)

 

「例えば、食事と薬とベッド。保険診療の中では、医療保険、介護保険と、その内容によって、出来ること出来ないことが出てきます。

認知症を例に取ると、認知症に非常に有効な薬があるが、高価な薬で、介護保険では薬代が出せない。

そうした時、「衣食住」連携できる環境を整備しておくことで、安心して、食事と薬とベッドが用意できて、結果的に正しい治療がなされ、早期に回復も可能です。」

 

「公に欠けているものがあります。

請け負わせて、その先をどうするのか?

独居の高齢者がインフルエンザに罹った場合、特に認知症高齢者の場合は受診も遅れがちとなりますし、受診出来てもなかなか入院などの「緊急保護」が受け難いのが問題です。

一般的にもインフルエンザと診断されれば院内感染を恐れて入院を勧める事は少ないと思います。

本来は入院治療が必要な状況と考えていますし、実際に我々がお預かりすることは稀ならずあります。妊婦や子育て中の看護スタッフには苦労を強いていると常々感じています。」

 


 

【新オレンジプランにおける「認知症の人の意思」とは】

― 厚生労働省が団塊の世代が75 歳以上となる2025(平成37)年を見据え、認知症患者の理解を求めて、『新オレンジプラン』という認知症施策推進総合戦略を策定しましたが、この取り組みについてどのように思われますか。

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nop_1/
(厚生労働省「認知症施策推進総合戦略」)

 

「新オレンジプランの最初は「認知症の人の意思が尊重され・・・」から始まります。

私は医師として、この「認知症の人の意思」とは?いつの意思なのか?と云う事に拘りたいのです!

WHOのレポートには「認知症は正常な老化現象では無い」と明記されています。

であれば、既に認知症の状況である人の意思とは?

例えば「認知症のために入浴を拒否」された場合、本当に長期間お風呂に入らない事がその御本人の「意思」なのでしょうか?

自分ならどうでしょう?

将来の自分が入浴を拒否し、そのまま何週間もお風呂に入らない、いや「入れない」のを「意思」として尊重されたいと思うでしょうか?

自分の家族が、自分の認知症のために転居を余儀なくされたらどうでしょう?

実際に認知症の周辺症状の中で特に不穏や暴力が問題化した際に、御本人ではなく御家族が「保護」の名の下に御自宅から施設に入る様に斡旋される状況は稀ならずあります。

将来もしかしたら認知症と成るかも知れないと恐れる原因として、その様に「家族を不幸にしてしまう」が大きな不安材料なことは間違い無いと思うのです。

「貴方が認知症に成ったとしても、御家族はちゃんと守られますよ!」こそが、たいせつなのではないでしょうか?

日本の医療の課題は人の再配置・再配分・役割分担にあると考えます。自分が365日中320日を自宅に帰れなくても、現場にいるからこそ、見えてくるもの、理解できることがあるのですね。」

 


 

【10年後の自分】

― 青木先生は、10年前に現在の青木病院と連携する施設や地域を含めた医療のグランドデザインをプランニングされ、こうして形となってきていらっしゃいますが、これからの10年後は、どんな自分になっていらっしゃると思いますか?

「今、自分が担っている中で特に精神科身体合併症については、10年後には精神科の先生たちが当然やることになっていて欲しいと思っています。

実際、若い精神科の医師たちの間では、精神疾患や認知症を診る上で身体合併症に対応出来る必要があると云う意識が高くなって来ているのを感じています。

自分は、そのための旗振り役なのだと。

同じ方向に向かう仲間を増やしていきたいと心から願っています。

今は、アウェイ感でいっぱいなので(笑)」

 

― 医療コミュニティの在り方として、非常に素晴らしいモデルですよね。まさに、明日は我が身、明日は家族の身で、セーフティネットが準備されているというのは、生きて行く中で、大きな安心になりますね。そして、やはり青木病院だからこそ、青木先生だからこそ、形として創り上げられてこられたということもあるのはないでしょうか?

「確かに青木病院では、経営的なことをいえば、精神科認知症疾患治療病棟 50床、合併症病棟 50床は、精神科病床220床に助けられてきたと認識しています。しかし、正しくない形を糺していくことに挑戦するためには、それぞれできることを持ち寄って、支え合うということが大事なことだと思っています。

同じ方向で今の医療体制を糺していく意志がある者たちが集まれば、10年後、精神科医師や精神病の患者様や家族の皆様が、今、苦しんでいることは変わると信じています。」

 


 

【患者様の家族から憎まれるくらいの医師でありたい】

青木医師は、ご自身も認知症になるくらいに長生きしたい!と言われる。

それは、青木医師が認知症の進行を説明される際に「認知症を怖がらないでほしい」と、皆様にわかりやすく説明されるお話にも表れている。

「人の記憶が、どのような変化を見せるかを一本の道に例えてみます。

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健常な思考を一本の道に見立てると、いわゆる「もの忘れ」の状況とは、その道に水溜りが出来たイメージです。

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水溜りを避けられれば前に進んで行けます。

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認知症になっていくのは、その水溜りが徐々に増えていき、遂には庭の飛び石の様に連続性が無くなり、石と石の間は泥濘となり踏み外すと大きな危険に繋がりかねない状態です。

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更に認知症の場合、本来乗って居るべき石ではなく過去の石へ、すなわち認知機能が時空を飛び越えてしまうのが問題なのです。

80歳のお婆さんが夕方に帰宅願望を訴えられたとして、何故お家に帰りたいのかを尋ねたとします。

「早く買い物を済ませて家に帰り夕食の支度をしなければ、夫が仕事から、子供たちが学校から帰って来てしまう」と答えられたら、このお婆さんを何処に返して差し上げれば良いのでしょう?

40年前の、主婦として守っていらした「家」には、残念ながら我々はタイムマシンを持っていないので帰してはあげられないのです。

また「もの忘れ」が始まった時には、例えば十の内の七つを覚えていても、忘れてしまった三つが、せっかく覚えている七つよりも大問題に成りがちです。

三つ忘れてしまったことを「くよくよ」と悩み落ち込んでしまうのです。

周囲もその三つを責めてしまうのです。

本当は七つを覚えていることがたいせつなのですが。

この「くよくよ」が鬱の元となり、認知症に対する恐怖に繋がります。

その結果、認知症を隠したくなります。

そうなるとどんどん周囲から孤立してしまうのです。

三つ忘れてしまったことを御本人も周囲も認め、それを理解して危険を回避するようにしなければなりません。

恐がって隠しても何も始まらないのです。認知症の理解にたいせつなのは「認めて知ること」なのだと思います。

忘れたら忘れたでいいじゃないと潔く認め合うことが、すべてにおいてコミュニケーションが上手くいく方法だと思います。」

 

認知症特有のそうした悪い方向に症状が出る原因には、うつと同様に不安の意識があるという。その不安は、周囲に理解されることで行動に変化を起こし、またそうした不安に対応するための良い薬も開発されている。

 

「よくね。ピンピンコロリで死ぬのがいいというけれど、家族にも「死」への覚悟があった方がいいんじゃないかって思うのです。

たくさんの家族を見てきて、私は、認知症になるくらい長生きすることは不幸だとは思えないんですね。

家族に自分たちだけで抱えるのではなく、病院にも共に期待と支えを求めてもらえたらいいと。

患者様が亡くなった後、ご家族から「もっと医者ががんばってくれていれば・・・」と思われるくらい憎まれても良いと思っているのです。

それは、患者様が亡くなった時にもし御家族が「ほっと」してしまったら、きっと将来その事を思い出し自分を責める気持ちになってしまうと思うのです。

そう言う共倒れ寸前な状況にまで御家族を追い込んでしまうべきではないと考えています。」

 

青木医師のお父様は小児科のお医者様であった。

お父様が亡くなられた際、お母様が「あの先生、もう少し、お父さんになんとかしてくれたら良かったのに・・・」とポツリともらし、青木医師は、父は母に愛されていたとご両親の人生、自分の人生に安心を感じられた自らの体験からの言葉である。

 

「認知症改善薬の開発スピードも目を見張るものがありますが、予防についても世界は進化しています。

若年性認知症もみつかっており、40代くらいで認知症の疑いがもたれたら、予防薬で抑制することも可能な時代がすぐそこにきていると思います。

ガンの告知ともまた違った意味で、認知症の告知にも非常に難しい問題をはらんでいて、現場で認知症を診ている医師の間でも議論が尽きません。青木病院では、PTSDを専門とされている飛鳥井副院長からも御意見を頂きながら、今後も深慮の必要な領域だと思います。」

 


 

【青木病院を訪れて・・・】

青木病院のルーツは、大正から昭和前期にかけてのアララギを牽引した詩人であり精神科医の斎藤茂吉氏に辿り着く。

長男に医師で作家の斎藤茂太氏、次男に作家北杜夫氏と、人に寄り添う文学と病を癒す医学を追求した、その血脈が青木病院に受け継がれているように感じた。

医療という世界において「文学」は非常に大きな力になるのではないかと感じた。

文学とは言葉に書かれた人の体温や感情、営みを読者に読み取ってもらう、あるいは、見抜いてもらうために作者が命を込めて文字にする。

特に、俳句には限定された文字数の中で研ぎ澄まされた感覚や風景を表現し、そこから読み手に感動を与えるものだ。

精神科は、医療の世界の中でも、特にそうした能力が問われる分野であるように思う。

かつて介護は家族のものであったが、それを家族から取り上げビジネス化している以上、国が元のシステムに戻そうとするのは残虐な行為といえるかもしれない。

狩りにでるための武器を取り上げ食物を与え、自分でなにもできないようにさせた後、再び、自分の力で狩りに出よというのは、国民を飢え死にさせる行為といってもいいだろう。

だからこそ、自分ができることの中で、関連施設や関連団体と結びつき、医療という産業をグランドデザインする医師であり、病気を治療する医者であり、人は必ず死ぬからこそ、どう生きてどう死ぬかを哲学する自然文学の心をもつ青木誠医師の存在は、日本の硬直化した医療システムを変えられる希望を感じさせてくれる。

さらに、青木病院では、理事長に青木浩子氏、病院長に南光進一郎氏、管理者に青木誠氏と、経営・業務・マネジメントと三者がその役割と責任を担うことでリスクの分散というリスクマネジメントを行っている。

今、この時代にあるシステムの活用の中で、知恵を使い、行動する人こそが、日本の未来を救うのではないかと思う。

 


 

医療法人社団 青山会 青木病院 精神科・心療内科・内科
〒182-0035
東京都調布市上石原3-33-17

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