出版プロデュースの未来を百田尚樹氏『殉愛』から考察
11月7日に発売されたベストセラー作家百田尚樹氏の新作『殉愛』がインターネット上で話題になっている。
Amazonのレビューは、発売から10日で600件を超えている。
初版25万部スタートという幻冬舎としては、数字だけを見れば大成功といえるかもしれない。
発売日ぎりぎりまで書籍の存在を隠し、発売当日に「スポーツニッポン」で広告、その夜、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)に著者百田氏が出演して二人の感動物語と出版の裏舞台を特集するメディア戦略を仕掛けた。
今年1月、食道がんのため亡くなったやしきたかじん氏(享年64)と、死の3カ月前に結婚をした32歳の年齢差のある妻さくらさんとの2年間に及んだ闘病生活について、百田氏が300時間以上も取材を重ねてできた作品。
この戦略は、1998年に出版された、郷ひろみ氏『ダディ』の出版戦略で大成功を納めた方法だ。
『ダディ』は郷ひろみ氏が離婚届を提出した日に出版した前代未聞の本。
出版によって初めて世間が離婚の事実を知るという戦略で、発売日までは所属事務所にすら知られないように努め、初版50万部で、瞬く間にミリオンセラーとなった。
幻冬舎の見城徹氏が、数か月に及び、郷ひろみ氏と信頼関係を結んで成立した戦略だった。
発売日まで秘密裡に出版をすすめ、メディアを含めた効率的な広告を打つというのは、これまでのマーケティングでは、大変に有効な戦略であった。
『殉愛』は、関西視聴率男と呼ばれ、自由にものを言い、自由な人生を歩んできた、しかし、他人の面倒見良く、多くの人に慕われた、やしきたかじん氏が、死の直前3カ月前に結婚した、32歳年下の女性が支えた食道がんの闘いぶりを、読む者に感動を与える作品を発表し続ける百田尚樹氏が描いた作品であった。
問題となった理由に、やしき氏の死後、親せきとの遺産相続の揉め事、新事務所設立による過去のスタッフたちとの軋轢が週刊誌に報道され、年齢差による「遺産目当て」結婚という見方が、一般的に浸透していたことが大きいだろう。
おそらく、本書の出版目的の一つには、こうした骨肉の争いを避けたいという、やしき氏の妻の思いが大きかったのではないだろうか。
『殉愛』発売日に放映された『中居正広の金曜日のスマたちへ』では、テレビで見る豪快で辛辣なやしき氏とは違った、臆病で繊細ゆえに、女性を信じてこられなかった彼を、ガンと闘うために献身的な看護をする妻の姿が描かれ、最後の2年間に、視聴者がテレビで見るやしき氏のイメージではなく、素直に人を愛することのできた男の一生が再現VTRで流され、視聴者はテレビの前で涙したのだった。
ところが、翌々日の9日放送の『ミスターサンデー』再現VTRに対して、百田氏がTwitterで「やしきたかじんの再現VTRは実にひどい作りやった!」とつぶやいたこと、また、Amazonのレビューに書き込まれる読者の批判的コメントに対してのTwitterを通じた百田氏の反応が、一般大衆の怒りを買ってしまった。
百田氏の持ち味でもあるのだが、Twitterで炎上を生み出しやすい大衆を挑発する言葉を選んでしまい、過去を洗い出すことが得意な鬼女と呼ばれる人々によって、『殉愛』のノンフィクションというカテゴリー検証の証拠として、やしき氏の妻が外国人と重婚していたとか、過去の彼女のブログ、写真、家族のことなど、彼女の歴史がインターネット上に散乱し、やしき氏の残されたメモの筆跡偽装まで取沙汰されるようになった。
ノンフィクション『殉愛』が作られたのは偏った取材の中で行われ、そこに何か意図するものがあるのではないかという疑問と、単純に、やしき氏の結婚生活が、自分の感覚では受け入れられないものだからという拒否的な感情をもった人々から百田氏に非難の嵐が向かった。
やしき氏の楽曲の作詞をした及川眠子氏が、『殉愛』内の、やしき氏の家族やスタッフについての批判について、一方的取材の決めつけではないかという疑問と、自分の作詞の一部を取り上げられた際の詩を作った自分の意図と異なる見解をされたことへの憤り、物書きとして、購入者・読者の批判を受け入れられないことは作家としていかがなものかという内容をTwitterに書いて、百田氏を批判した。
また、やしき氏の弟子と名乗る人びとによる、インターネットラジオで、伝聞からではあるが、やしき氏の結婚で感じた自分たちの声を流し、百田氏への批判が流布された。
商品や作品は万人に受け入れらるものではないが、ソーシャルメディア対策が戦略として必要な時代になった。
筆者も『ミスターサンデー』のVTRを見て、『金スマ』のVTRとの違いをはっきり感じた。
再現VTRは、できるだけ当人のイメージに近い役者を選ぶものであるが、両者を比べ、後者の出演者は、やしき氏のイメージをできるだけ忠実に演じていた。
演者の力量と共に、演出も前者は、病気で弱音を吐くやしき氏というイメージで赤ちゃん返りをするような行動や、患者の依存傾向を強く打ち出しており、伝えたい内容の意味が理解しがたい脚本と演出になっており、予算等の都合もあるのだろうが、作者としてがっかりする気持ちになったことは理解できなくもない。
多くの作家が、自分の作品が、ドラマや映画になった時、愕然とする事例を数多く聞く。
その感情の出し方は、以前ならば、自分が連載をもつエッセイの中であったり、インタビューであったりと、言葉にするにはワンクッション置く時間があった。
これは、読者も同様で、SNSの普及は、感情が一番沸点に近い時に噴出され、冷静に言葉を選ぶことが難しくなる。
過去の出版戦略は、読者を含め、大衆にサプライズを与え、その刺激が購買意欲へと向かった。
ところが、現代はインターネットの普及で、書籍の内容以上に過去や真実があからさまに表出することが可能になり、その調査力は警察以上の力にもなっている。
もともと、作品は万人に受け入れらるものではないが、好きな人は反応し、嫌いな人は、そこに反応を起こさないものであったことが、好悪の両面の感情がインターネット、特にSNSでは顕著に表れてしまう。
出版をプロデュースする上で、もはや、平成初期の方法では成り立たなくなってきている。
ピンチの今こそ、ビジネスプロデューサーの力を借りて、新しい価値を創造していくチャンスでもあるのだと思う。
ただ本が売れれば儲かる時代は終わった。
出版社も作家も、ソーシャルメディアを敵にしないビジネスモデルを創っていく必要がある。
アメリカの学者、アルビン・トフラーの『パワーシフト』には、力(権力)の源泉は三つあり、「暴力」「富」「知識」といわれた。
インターネットの普及とソーシャルメディアの台頭は、世界中で感情共有が可能になったことで、良くも悪くも価値を作り出す力になった。
四つ目の力として共感という感情共有を創り出すノウハウをもったビジネスが出版業界には、最重要課題ではないだろうか。
書籍は、これまで一方通行であった。
もはや読者は受け手ではない。
そこに新しい価値、人々が良い方向に向かえる価値を作るために、ビジネスプロデューサーの存在が試されている。
(PHOTO:Rudolf Vlček by flickr)