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本物は日本を捨てざるを得ない?Google買収のSCHAFTの命を救った男

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2013年12月20〜21日に米フロリダ州で開かれた、米国防総省高等研究計画局(DARPA)主催の災害対応ロボットの競技会で、今年12月に発表されたGoogleに買収された日本のベンチャー企業「SCHAFT」のチームが1位になったことは、BPA NEWSでお伝えした。

SCHAFTは東京大学ロボット研究室のOBらによって、この競技会に参加するために設立された。
その中心であった東京大学大学院情報理工学研究科・情報システム工学研究室の中西雄飛氏と浦田順一氏については、同大学数学科教授の西成活裕氏から、「この隣の研究室には天才がいるんだよ」という言葉で紹介をされたことがある。

2011年当時に東京大学の研究室で人型ロボットの研究をしていた中西氏と浦田氏だが、技術が実用につながらないことや思うように予算が得られないことを歯がゆく感じ、自分たちで起業したいと思い描いていた。生来の研究者である両氏に資金調達の知識や人脈はなく、暗中模索の日々が続いていた。

彼らがDARPAから開発資金を得て競技会に参加し、さらにGoogleに買収された背景には、日本でのロボット開発における、大学での研究環境の維持とベンチャー企業の資金調達の難しさがある。

SCHAFTのロボット「S-ONE」は、他国のロボットが立ち往生する中、ゆっくりとした動きながら着実に動作してタスクをこなしていった。今回の1位は、過酷な作業を行うヒト型ロボットとして世界一の性能が認められたことになる。
さらに、これまで決まっているものも含めて、開発資金として計400万ドル(約4億円)をDARPAから得ることが決まった。

SCHAFTは、DARPAの競技会開催の発表があった1カ月後に設立された。
当時、助教の中西氏と浦田氏は、助教の任期満了が迫っていた。
大学では研究資金を得るのも難しいことから、競技会の開催を知り、これに参加するために助教を辞任。中西氏が最高経営責任者(CEO)、浦田が最高技術責任者(CTO)となり12年5月にSCHAFTを設立した。

ただ、競技会には参加するものの技術流出の懸念から、当初は開発資金をDARPAから得ずに、自ら資金を調達してロボット本体とソフトウェアをつくるコースに参加しようと考えていた。ところが、資金調達は思うようにいかなかった。

SCHAFTの共同創業者で元最高財務責任者(CFO)の加藤崇氏(Googleによる買収のため11月中旬に辞任)は、「可能性のありそうな国内のベンチャー投資会社は大体回ったが、まったく集まらなかった」と振り返る。
ハード系ベンチャー、とりわけロボット開発ベンチャーは、インターネット関連とは違い、創業からEXITまで何度かの大型資金調達が必須である。そういう意味で、SCHAFT社におけるCFOは重要なポジションだった。

とにかく、ロボットの初号機を開発するための資金は必須だ。

そこで、加藤氏は当時自身がかかわっていたベンチャー投資会社に働きかけて資金を得、SCHAFTの社外取締役を務めるなどして創業時から支援してきた鎌田富久氏((iモードなどのモバイルインターネットの技術革新を牽引した株式会社ACCESSの共同創業者)の出資により、ようやく初号機開発に着手。

とはいえ、資金難で競技会への参加自体が難しくなる可能性もあり、参加は開発費用を得るコースしか無かった。

2012年10月、DARPAから初期開発費用180万ドル(約1億8,000万円)を得るチームが発表され、SCHAFTもそのなかに選ばれた。
さらに、今年7月には追加の開発費用120万ドル(約1億2,000万円)を得るための設計審査があり、それも通過した。

一方、SCHAFTが企業として事業を行っていくためには、DARPAからの開発費用だけに頼るわけにはいかない。
そこで、ヒト型ロボットの要素技術を基にした製品を14年春にも販売することを決めた。
この事業のための追加の資金調達が必要になり、
「国内はもう回り尽くしていたので、海外のベンチャー投資会社に声をかけることにした。夏くらいに、グーグル・ヴェンチャーズ(グーグル傘下のヴェンチャー投資会社)に話をしようとグーグルに足を運んだら、グーグル本体のほうが興味を示してくれた」
と加藤氏は振り返る。

現在の日本で持続的にロボット研究を行うのは、大学や研究機関でもベンチャー企業でも難しい。

無人飛行ロボットを20年以上研究する千葉大学の野波健蔵教授は、
「国の多くの研究プロジェクトは3年から5年と期限つきなうえ、大学や研究機関の研究職は任期つきが多い。ロボットのような資金と時間がかかる研究を継続的に続けるためには研究費の獲得などで苦労は多い」
と話す。
また、鎌田氏は
「SCHAFTは、トップレベルの研究者たちが、寝食を忘れて努力している。これで、世界と戦えないはずがない。ただ、日本の投資会社や投資家は、短期間で結果を求める。ロボットのように10年単位でみていかないといけないものには投資をしたがらない」
と指摘する。

加藤氏はスタートアップ業界では未だ名前を知られていない存在だが、企業再建の分野で活躍し、30代半ばにして既に数々の実績を残しているプロの経営者だ。

中西氏と浦田氏の研究内容と熱意を聞いた加藤氏だったが、当時アドバイザーを務めていたベンチャーキャピタルの投資対象とは分野が違っていたため、そこからの出資は考えにくい状況だった。それでも彼らの研究は日本の知財であり、新しい産業を生み出すものであると確信を得た加藤氏は「本当にベンチャーをやりたいのなら、お金は僕が集めてくる」と2人に約束した。

しかし、初期の資金調達は困難に困難の連続だった。
日系のベンチャーキャピタルは、あらかた回ったという。
誰もが、思いや技術に対して共感はしてくれるものの
「リスクが高すぎる」
「ロボット産業への投資はまだ早い」
「類似のベンチャーは全て失敗している」
といった理由で、手を差し伸べてくれるファンドはなかった。

結局は、加藤氏自身がアドバイザーを務めていたベンチャーキャピタルからの出資を引き出しつつ、当時エンジェル投資家として数社のスタートアップに投資をしていた鎌田氏から資金を獲得することに成功したのだった。

2012年に始動したSCHAFT社は設立から1年半でGoogleに買収された。
加藤氏らSCHAFTチームと同様、Googleもまたロボットが「次の大きな産業を生み出す」と考え、その核となるスタートアップを探していたのだ。

「今回の出来事は半分が実力で、半分は運のようなものです。でも全ては行動した結果。起こるべくして、起こったという実感があります」と加藤氏は言う。

創業当時、なかなか資金の調達が決まらず、中西氏、浦田氏と数々のファンドを回る日々の中で、彼らをサポートしてくれる協力者が次第に増えていき、そこからGoogleへつながる人脈を得た。
アメリカの国防総省が主催するロボットのコンテスト「DARPA Robotics Challenge(DRC)」に参加していたことも功を奏した。このコンテストでアメリカ政府の厳しい審査を通過していたため、技術的な基盤がしっかりしていることが担保されたのだ。

2013年の夏に交渉がはじまってから4ヶ月間、加藤氏は、文字通り寝食を忘れてGoogleとの交渉にあたったという。
「ベンチャーということもあり、社内にM&Aを扱える人がいないですからね。僕がやるしかなかったんです」

経理担当も、法務担当もいない小さなスタートアップのチームだ。対する相手は最強のM&Aチームを率いるGoogle。
柔よく剛を制すとはいえ、この交渉が簡単ではなかったことは誰でも想像できよう。

そして最後には見事に交渉をまとめあげた加藤氏は、創業からM&Aによる売却まで、役員報酬は一銭も受け取っていないという。

「僕は中西さんの人間的な魅力にひかれて参加したんです。彼はお金には全く興味がなくて、ただひたすらにロボットを作りたいと言った。世界一頭が良い人が、そんなことを言う。僕はそこにシビれたんですよ」

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