落語家 桂米紫 氏 インタビュー
BPA JAPAN 巻頭インタビュー 落語家 桂米紫
ビジネスプロデューサー協会会報誌『BPA JAPAN』第8号(2012年9月28日発行)の巻頭インタビューに掲載された記事です。
京都撮影所の隣に住んでいた映画少年が、落語家桂塩鯛(当時、都丸)師匠に弟子入りを頼んだのは19歳の時だった。
幼い頃から映画が大好きで、高校生の頃、母子家庭となった少年は、映画監督を目指して映画の制作を学べる学校に入った。
そこで、シナリオを書いたり、撮影視点で、技術や手法といった映画の勉強のために映画を観る自分が、映画を楽しめなくなっていたことに愕然とした。映画と同時に、歌舞伎、新派劇、落語といった大衆芸術にも触れていた少年は、落語の世界に自分の道を見出し、多くの師匠のいる中で桂塩鯛の弟子入りを願った。そして、桂とんぼ( 後に米朝師匠より「都んぼ」に表記改名) と命名され、2010 年に四代目桂米紫を襲名した。
(以下、敬称を略させていただきます。 インタビューアー:小幡万里子 写真:鎖骨ポシェット)
【桂米紫 プロフィール】
生年月日 1974 年3 月20 日 京都市出身
1994 年3 月、桂都丸(現・四代目桂塩鯛)に入門。前座名「とんぼ」。同年6 月初舞台。
1997 年、内弟子卒業を機に、名前の表記を「都んぼ」に改める。
1999 年、NHK 新人演芸大賞・落語部門大賞受賞。
2005 年、なにわ芸術祭新人奨励賞受賞。
2009 年、文化庁芸術祭新人賞受賞。
2010 年8 月、四代目桂米紫を襲名。
弟子入り秘話
小幡:19歳で落語会の門を叩かれたとのことですが、どうやって弟子入りって許されるのですか?
米紫:師匠が高座をされる時を狙って、開演前に楽屋に伺って「弟子にしてください!」ってお願いしたんです。
小幡:弟子入りって、突撃してするものなのですか?
米紫:さすがに、その場でっていうわけにはいきませんが、「考えさせてくれ」と言われ、それから、1,2 か月して、話を聞こう!と言っていただいて、当時は都丸師匠といいましたが、桂塩鯛師匠に弟子入りさせていただきました。僕は一番弟子になりたかったので、一番若い師匠である塩鯛師匠を選んだということと、塩鯛師匠に、とても父親的な父性というものを強く感じたのです。それで、どうしても塩鯛師匠の弟子になりたいという強い気持ちがありました。
それは、母が、僕が幼稚園の頃、実の父と離婚して、中高生の頃、反発心を義理の父にもっていて、今では、その義父の気持ちも、男として理解できることもあるのですが、当時、そのあたりの葛藤もあって、厳格な塩鯛師匠は、僕にとっての理想の父でもあったのです。落語の世界は、師弟制度で、厳しさもある一方で、、会社という組織の中では、なかなか難しい、社員が社長でも直属の上司でも選べるような環境なので、自分でこの人を選んだという、だからこそ、ついていきたいという思いも強くなります。
小幡:落語家さんのお弟子さん時代というのは、お給料のようなものはあるのですか?
米紫:いえ。給料というものはありません。僕は、京都なので通いで師匠の元に伺って、稽古をいただくのですが、修行中に師匠の元にいる時は、食事や手伝いで高座について行く時の交通費などは、師匠が面倒をみてくださいます。そして、修行期間は、大体、三年間なのですが、僕は入門して三か月で初舞台に上げていただき、その間のギャラは、師匠に振り込まれて、師匠が僕の名義の口座を作って預かってくださり、修行が修了して、一人前になった時、黒紋付きと袴を、その口座から用意してくださり、独り立ちとなります。だから、食べるにも苦労するということはなかったですね。食べさせてもらってましたから( 笑) ただ、時々、交通費がなくて、学生時代に買ったレコードを売ったりはしてましたけど( 笑)
三遍稽古は必死の集中力
小幡:お稽古というのは、師匠の元でされるのですか?
米紫:落語は、口伝えの稽古で継承されます。三遍稽古と呼ばれる稽古で、師匠が対座で、高座で演じるように三回演じてくれるのです。
稽古中は、録音してもいけないし、メモしてもいけない、必死に聞いて見て覚えるしかないんです。稽古が終わると、とにかく、忘れないうちに!って、必死に覚えたことを書き残します。それを家に帰ってから、何度も練習するんです。もう、師匠の一回一回の稽古が貴重で、聞き漏らさないように、見落とさないようにって、その集中力は、すごいものです。でも、そうやって覚えることで、ほんとうに自分のものになっていくんですね。
そして、自分の流派だけでなく、違う流派にお稽古に行ってもいいんです。落語の世界は、流派で派閥のようなものを作るのではなく、落語界全体で伝承していく心があって、それこそが伝承芸能を守る力でもあると思っています。
小幡:修行中に辞めてしまう人も多いのでしょうか?
米紫:とにかく、普通の感覚というか、マニュアルで物事を進めようとする人間には、難しい世界だと思います。なにしろ、すべてがマニュアルじゃないやり方で。怒るにも理由がないというか、当時は、本当に理不尽な怒りで叱られていると思ったことばかりです( 笑)
僕は、三年間の修行中、一度も遅刻したことがないんです。もしも、乗った電車が事故があったら、師匠を待たせて師匠の時間を無駄にしてしまう…と思うと、電車も師匠の家につく丁度いい時間の一本、二本、三本前の電車に乗って、早く着いたら師匠の家の周りで時間をつぶして、約束の時間に伺うんです。普通なら褒められることですよね。でも、それを叱られるんです(笑)
「お前、ちいとも、おもろないやん。たまに遅刻する方がカワイイわ」って(爆笑) でも、結局は、三年間、一度も遅刻できなかったんですが、今も、よく師匠がネタとして使うのですけれど、米紫が「じゃあ。毎週木曜にします」って、遅刻の日を決めたってことになっています( 笑)
でも、師匠から言葉ではなく教わったのは、そういう、弱みっていうか、完璧じゃない人間の部分が魅力なんだってことですね。師匠は、毎日、絶対に、弟子を怒るんです。毎日叱られるから、委縮しちゃって黙っていると、それも怒る。空気を読め!って言われて、必死にしゃべると、また怒るんです( 笑)
入門してから、そんな風に、毎日叱れるので、僕は師匠に迷惑をかけているんだって思って、1 年くらい経った時に「こんなに毎日、僕は師匠に迷惑をかけてしまって、もう辞めたいと思います」って言ったんです。そうしたら、「去る者は追わず」と、普段、そう言っていた師匠が「待て。君の落語に対する思いを信用しているんだ」って、僕を止めてくれたんです。
小幡:米紫さんは、今、落語を愛する気持ちと、師匠を愛する気持ちと、どちらが、自分に近い思いでしょうか?
米紫:弟子入りする理由は、人それぞれで、自分にもいろいろな理由があったと思います。でも、とにかく、師匠を愛する気持ちをもっているということが、大事だと僕は思っています。僕は、入門して落語が好きになったと言えるし、落語を好きになったのも、それは師匠の厳しさと、父のような存在であるということが大きいと思っています。
小幡:お母様は、米紫さんが落語家になるって決めたことを、すぐに許されたのですか?
米紫:映画の仕事をしたいから、って自由な選択をさせてもらいましたが、さすがに、落語家になるって言った時は、心配して泣かれました。でも、最終的には「あなたが決めたことだから」って納得して、今では、喜んで高座を観にきてくれます。
小幡:素敵なお母様ですね。米紫さんのフェイスブックやブログを拝見していると、すごく繊細で感受性豊かな方だなあと感じます。子どもの頃から、そういうところをお持ちだったのでしょうか。
米紫:よく、書いているものと、落語をしている本物と( 笑) ギャップがあるって言われます。でも、ちいさい頃から考えることが好きでしたね。一人っ子ということもあるかもしれませんが、空想の友達がいて、会話したりして時間を過ごしていることが楽しかったり・・・
小幡:落語も一人で演じますが、そこには複数の登場人物がいますよね。そういう意味では、米紫さんの子ども時代の過ごし方って、今の米紫さんが落語をしていることと、とても似ていることなのかもしれませんね。いつでも、自分の落語に満足されていますか?
満足のいく落語は年に数回
米紫:本当に心から満足できる自分の落語が演(や)れた!って感覚になれるのは、年に数回くらいです。すべてに満足できるっていうのは、結局、それでいいって、そこから成長が止まってしまうことなのかもしれません。師匠でも、やはり、常に、すべてに満足していることはないからこそ、常に精進を続けることができるのかもしれませんね。
小幡:教えるということが、一番の学びともいえますよね。だからこそ、落語界の師弟制度というのは、教え教えられ、気づき気づかされという、とても、良い循環の中で、伝統芸能を守り続けることができるのかもしれないですね。
米紫:落語は、イタコに近い状態なんだと思います。登場人物にいかに自分が重なっていけるのか・・・時に自分を超えた時に、すごい満足感を得たりしますね。特に、自分は、不器用な登場人物が好きで、そういう不器用だけどかわいい人間が、自分に乗り移ったように感じる時に快感を覚えたりもします(笑)
小幡:素敵ですね。今日、見せていただいた高座も、みんな仕事をしなくちゃいけないのに、歌舞伎大好きで、日常を歌舞伎の舞台にしてしまうという、コミカルでユーモアにあふれて、そして、米紫さんの歌舞伎の振りや歌も、すごく上手で、笑いっぱなしでした。
米紫:不器用だけど一生懸命な人が好きで、マイノリティが好きなんですね。マヌケなんだけど、一生懸命に努力している姿とか、とにかく行動する姿とか。
そいつ( 登場人物) たちにスポットライトを当ててやりたいって思うんです。自分としては、コメディが好きで、芸風も明るいのですけれど、面白いというもの、笑っちゃうというものにも、裏には影が在って、人間も、さまざまなものも、実はそんなに分かりやすいものじゃないんだよ…って、ところまで、観ている人に受け止めてもらえるようになりたいなって思っています。
小幡:落語をしていて、苦しいとか辛いと思うことってありますか?
米紫:苦しいというのは、やはり、登場人物にのりうつれないことがある時ですね。落語は、「業の肯定」と亡くなった立川談志師匠が言っていましたが、それをやさしく包み込むことができる落語をしたいと、いつも思っています。
弱みを抱える架空の人物が生き生きと描けただろうか・・・と、その時の皆さんの反応によって、自分のノリにも大きく変化して、やはり高座は観客と一体になって初めて創り上げられるものなんだということが意識されますね。
庶民の気持を落語で表現していきたい
小幡:落語を通じて、米紫さんが目指すものってありますか?
米紫:僕自身、さっきもお話したように、不器用だけれど一生懸命な人間で、同じような不器用な人たちに元気になってもらいたいと思っています。
江戸落語は、大衆芸でありながら、粋(イキ)で文化的なんですが、大阪落語は本当に人間臭い大衆芸なんです。でも、自分は、やっぱり関西のその上方落語が大好きで、大衆芸として多くの人を元気にできる落語家でありたいと思っています。お金もちになりたいとか、名誉が欲しいとか、偉くなりたいっていう気持ちは、あまりもてなくて、庶民の気持ちを落語で表現して、いつまでも、気さくな存在であり続けたいと思っています。
小幡:今日、こうして米紫さんと、ゆっくりとお話ができて、本当に、私も元気になれました。左談次師匠の『阿武松』も、今の日本の社会に薄れてきた男気とか才能あるものを育てる力とか、失ったものの大切さを改めて見直すきっかけになります。経営者の方がたに落語贔屓の方が多いのは、こうした感覚を忘れないことと、「業の肯定」ということを、心にとめて生きていくことを知っているからかもしれないと思いました。
BPA でも米紫さんをはじめ、落語をお聞かせいただく機会を作りたいと思います。その時は、ぜひ、よろしくお願い申しあげます。
米紫:こちらこそ、BPA を拝見していて、皆さんの不器用な一生懸命さに共感しています。ぜひ、よろしくお願いいたします。
小幡:ありがとうございます。
《インタビューを終えて》
– 本当に大成する人を育てていくために・・・潔さと粋と人情が落語の世界 –
フェイスブックで知り合った桂米紫さんが、東京での高座があると知り、ぜひぜひ、初の落語体験を…と、8月15日に、東京都北区にある王子小劇場の「王子落語会」で、本物の米紫さんとお会いすることができました。
米紫さんをはじめ、瀧川鯉昇師匠、立川左談次師匠、立川談奈さんと、素晴らしい落語家のお噺を「木戸銭2000円、俳優割引1000円、王子の商店街発行満点PAL カード1枚で聞けるなんざあ、大した得だねえ~」と、鯉昇師匠が言われるように( 笑)、とても、お得に贅沢な時間を過ごさせていただきました。
とにかく、最初から最後まで、お腹の底から笑った時間を堪能させていただきました。終戦記念日ならでは、落語の導入に話すマクラや、オリンピックで日本人が湧いた後でもあり寝不足のマクラなど、導入から落語に入った時の師匠たちの噺は、流石に年輪を感じさせるものでした。
特に、左談次師匠の「阿武松」の演目は、最初の一歩を踏み出したベンチャー企業の若い経営者と、すでに自分の事業を確立された年季ある経営者の両方の方々に受け止めていただきたい噺でした。
江戸の時代、人間の潔さ( 粋)と人情が、どれだけ多くの大成できる人間を育て、創り上げてきたか!その人の力というものは、古くから日本にある義理人情という包み込むような愛情であるということを感じさせてくれます。
米紫さんが、インタビューの中で、塩鯛師匠を実の父、育ての父以上の父性を感じる父、と呼ぶ関係と同じく、人が人に惚れるということは、ビジネスにおいても、実はとても大事なことであると気づかさせてくれます。
『蛸芝居』を噺した米紫さんは、歌舞伎にある型にも造詣があり、そうした伝統芸能を組み合わせることが許される落語の許容、余裕が、噺を超える芸を生み出すのだということが伝わってきました。
さらに、米紫さんの高座での表情、観客の心のつかみ方などは、プレゼンテーションの場を体験しているビジネスプロデューサーの皆様にも、大変、学びとなることが多いなあと、改めて感じました。
上方落語は、明るく元気なパワーを感じさせる落語ですが、米紫さんは、それと共に、とても聡明で鋭い感受性をお持ちです。私には、幼くてもお母様を支えてきた男の子としての責任と、塩鯛師匠によって、父の存在を確認したことで、さらに人間の豊かさを身につけ、それが芸に生かされているようにも思います。
19歳で入門され、38歳の今、ちょうど、生きてきた時間の半分が、落語の世界での人生となり、これから、その人生はさらに積み重なっていかれます。
樹木が年輪を重ねるごとく、米紫さんのこれからの年輪が、どのように刻まれていかれるのか…という姿を拝見できることも、とても楽しみです。
落語の世界は、過去のBPAライブ第6回、第7回の「父性」「母性」第4回の「Education(共育)」のテーマもと同じ、本当に大成する人を育てていくために、厳しくても、血を超えた包み込む絆という共通の意識を感じます。
そして、ビジネスプロデューサー協会では、それら、自分を信じ続け、互いを信じ続け、個々の感性、個性を守り、互いが依存し合うのではない切磋琢磨する環境で、共に成長し合うことの重要性を、常に発信しております。
高座の終わった後、ベテランの立川左談次師匠、瀧川鯉昇師匠をお待たせしてのインタビューでした(汗)。
一度、着替えを終えてから、再度、お着物を着て写真を撮影させていただきたいとの、私のわがままな希望にも快く、最高の笑顔で受けてくださった桂米紫さんに、心から感謝をしております。
今後、BPA でも、米紫さんとご相談しながら、落語の会を皆さまの刺激の場としてお届けできるよう企画をしてまいりたいと思います。
また、毎回『米紫の会」のパンフレットが大変にアーティスティックで、落語の世界にもデザイン性の高いものが融合されてくる時代は、世界にも日本の落語を伝えていくきっかけにもなると期待しております。(小幡万里子)