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RSSを生んだ天才ネット活動家 アーロン・スワーツ

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2013年1月11日。
インターネット界の早熟の天才と称され、サイトに訪問することなく更新された情報を効率的に入手できるウェブサービスRSSの共同開発者としても知られる米国の著名プログラマー アーロン・スワーツ 氏(26)が、ニューヨーク市内の自宅で首を吊って死去した。自殺とみられる。スワーツ氏はネット情報の検閲や使用制限に反対する活動を続ける一方、2011年7月にマサチューセッツ工科大学(MIT)のコンピューターを使用する非営利団体から大量の記事や論文を盗んだなどとして逮捕・起訴され、2月から公判が始まる予定だった。

 

アーロンは過去に自身のブログで、鬱病(うつびょう)の症状が長年あると言及していたが、遺族は「連邦検察とMITによる追及が死の原因になった」と主張している。

 

シカゴでソフトウェア会社を経営する父の子として生まれたアーロンは、幼少のころからコンピューター技術に親しみ、13歳で優れたウェブサイト制作者に贈られるアースディジタ賞を受賞。

14歳でRSSの開発に加わり、神童の名をほしいままにした。その後、米国の名門4大学ビッグ4の一角であるスタンフォード大学に入学したが、知的な刺激がないと失望して1年で中退。

自身のソフトウェア会社を設立し、オンラインニュースなどを集めたウェブサイトReddit(レディット)の立ち上げに携わった。

さらにネット監視に抗議する政治団体で100万人以上のメンバーを抱えるディマンド・プログレスの共同設立者となり、オンライン活動家としても有名になった。

 

アーロン・スワーツ は、2008年にネット上で

「情報とは権力であり、他の形態の権力と同様に、これを独占したいと望む人々がいる。だからこそ、常に市民にとって価値のある情報への自由で容易なアクセスを実現し、具体的な行動を促さなくてはならない」
と語った。

そして、確信犯として行動を起こしたのが、MITの事件だった。
アーロンは2010年から2011年にかけて、MITと科学雑誌や学術論文のアーカイブを構築する非営利団体JSTORから、400万点の文書を違法にダウンロードし、逮捕された。

ディマンド・プログレスは「これではまるで、図書館から本を借りすぎたといって刑務所に入れられるようなものだ」といって抗議したが、来月始まる予定だった公判で有罪になれば、最大で「懲役35年」が科される可能性もあった。

アーロンの遺族は「アーロンの人生は聡明で、社会正義の実現に深く関わろうとしてきた一生だった。その死は、単なる個人の悲劇ではなく、曲げられた正義によってもたらされたものだ」とする声明を出した。
アーロンには最近、「私は病気だ。かつてなく長いクリスマス休暇を取ろうと思う」などと、自殺を示唆する言動がみられたという。

 

この事件は、社会に大きな課題を投げかけた。

一つ目は、学術論文は誰のものかという問題提起である。

ゲリラオープンアクセス宣言の中でも、「研究者が同僚の学術論文を読むのに多額の料金を払うのはおかしくないか?先進国の名門大学が科学論文を独占して、途上国の子供たちから隠しているのはおかしくないか?」と述べ、高額の論文閲覧料を問題視している。

 

二つ目は、米国では著作権侵害が被害者の訴えが必要のない非親告罪となっていることにある。

彼はハーバード大学研究員の肩書を持っており、ダウンロード先の論文データベースのアクセス権を持っていた。
だから、盗んだわけではないし、ダウンロードした記事や論文を一般公開したわけでもない。
誰もが、実害がなく、ゆえに、同データベースはアーロンに対する訴えを11年に取り下げていた。
しかし、MIT所在地のマサチューセッツ州の検察当局は起訴に踏み切った。

JSTOR(Journal Storage)は大学や研究所などの学術雑誌を電子化し、有料で全国・全世界に頒布・配信している団体である。
それをMITが購入して、大学校内で自由に閲覧できるようにしている。アーロンはこの制度を利用して、MITからもらったID番号を使って、JSTORの文献をダウンロードした。

しかしあまりにもダウンロードの量が多すぎるのでJSTORが不信感をつのらせ、そのID番号を差し止めたのだった。
しかし、彼は、別のID番号を申請して、また大量の文書をダウンロードするといったことが重なり逮捕となった。

冷静に見れば、この事件はダウンロードの量が多すぎただけで、MITの規則を破ったわけではなかった。
しかも、MITは「情報へのオープン・アクセス」を売り物にしていた大学だったのだ。

 

アーロンは例え話として、パートナーのタレンに、「借りる権利がある図書館から、本や論文をあまりにたくさん借りすぎて、告訴されたようなものだ」と語っていた。

しかし、連邦検察官Carmen Ortiz女史は「バールを使おうがパソコンを使おうが、文書を盗もうが金を盗もうが、盗みは盗みだ “Stealing is stealing.” 」「盗んだものを売ろうがタダでひとにやろうが、被害者にとっては同じことだ」と言った。

(連邦検察官Carmen M. Ortizの発言の英文は次のとおりである。
United States Attorney Carmen M. Ortiz said, “Stealing is stealing whether you use a computer command or a crowbar, and whether you take documents, data or dollars. It is equally harmful to the victim whether you sell what you have stolen or give it away.”)

しかし、この事件は、図書館から本を借りたのとは違い、誰も被害を被ってはいない。

JSTORはMITからライセンス料をもらっているので、直接的な被害はない。

いくらダウンロードしでも、元の文献は消えてはいないそれを読みたいひとがJSTORにアクセスすれば、変わらずに、それを読むことができる。

被害者は、どこにもいない。

しかも、彼は、ダウンロードした文献を返却することで、JSTORとの和解が成立し、JSTORはアーロンにたいする告訴を取り下げていた。
マサチューセッツ工科大学MITも連邦検察官も、これ以上、告訴を続ける理由はなかったといえよう。

 

JSTORは、アーロンが自殺する数日前に、アーロンの主張どおりほとんどの文献の無料公開を発表していた。

しかし、残念なことに、その知らせがCreative Commonsの創始者レッシグ氏(ハーバード大学教授)にEmailで届いたとき、氏は別のことに忙殺されていて旅行中であり、不覚にも、それをアーロンに知らせるのが遅れてしまった。その数日後にアーロンは自殺してしまったのである。

レッシグ氏は、DemocracyNow!のインタビューで、「もう一度アーロンに会いたかった、この知らせをアーロンと一緒に祝福したかった」「私たちにはもっとできることが何千とあったし、それをしなければならなかったのだ」と語っている。

彼は、ここまで事情を説明したとき思わず涙がこぼれ、口から次のことばが出なくなった。

 

そして、若者のハッカー精神とどう対峙すべきかという課題がある。
政府がハッカーに対して、サイバーテロや機密情報の流出の可能性を本気で懸念しなくてはいけない現代社会。

一方で、「知識を共有するのは罪じゃない。企業に独占させるな」と訴えて学術論文を手にいれたスワーツ氏。

性質の全く異なる2つのハッカーを、どう法律で裁いていくのか。国家は難しい課題に直面している。

 

(PHOTO:Wikipedia)

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