文章制作のための切り替え思考 作家高嶋哲夫氏
BPA JAPANは、コミュニティマネージャーの視点から、ビジネスプロデューサーに役立つ情報発信を行っています。
情報発信の源は、「文章」
今後増えて行くBPA JAPANの記者たちのために、日本が誇る作家や文筆家の皆様に、文章を書く秘訣を教えていただくコンテンツをご用意いたしました。
第一回は、作家の高嶋哲夫(たかしま てつお)さんです。
岡山県玉野市生まれで、現在、兵庫県神戸市在住。
日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)研究員を経て、アメリカに留学。帰国後、学習塾を経営し、1999年、『イントゥルーダー』で第16回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞し、本格的に作家デビューという波乱万丈な人生を送られていらっしゃいます。
出版された書籍は、テレビドラマや映画、マンガの原作にも使われ、アメリカ・韓国・中国で翻訳され、『風をつかまえて』は第56回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高等学校の部)に選定され、高嶋氏が生み出した作品たちは、成長を遂げ、様々な場所で新しい価値を生んでいます。
そんな高嶋氏は、ここ数年、ご両親の介護で、岡山と神戸を行き来しながらも、日本中を取材や講演で飛び回り、さらに、2016年は、ほぼ毎月1冊出版をされるという、神業生活をされていらっしゃいます。高嶋氏にとって、文章を書くということは、どのようなことなのか、インタビューさせていただきました。
高嶋氏は昨年6月にお父様を亡くされました。享年98歳。少しずつ認知症の症状が現われ、セーターの上にシャツを着るというような行動もあったそう。関東に住む妹さんと二人、連携した介護をされていたそうです。
高嶋氏は、そうした状況を冷静に分析されていました。
「自分の親を見ていて感じたのは、我々の親たちの世代は、当時、50歳とか55歳とかで定年退職して、その後、還暦まで、どこかで勤めてからリタイアしたという年代で、子ども達は自分達の家庭をもって生活の心配もない。人生の目的もなく、でも生活はそこそこできる経済的な余裕があって。結局、やることがなければ、人間ってボケるしかないんじゃないかって思うようになりました。アルツハイマーというのは、病的なものというより、生き方が大きく関わるんじゃないかと感じたんです。このことも、いつか書きたいと思っていますが…」
高嶋氏の話を聞いて、これこそ作家の目だという感覚を覚えました。
高嶋氏は、「書きたいものを書いているだけで、自分としては、仕事という意識がなく、結果、生活が成り立つ経済を手に入れ、書いたものが、確実にある形として残すことができるということが、非常に幸せな人生だと感じています。それが、書くことのモチベーションになっているし、書きたいことがたくさんあります。2005年に『TSUNAMI 津波』という作品を出したのですが、2011年3月11日の東日本大震災の後、ある政治家の方が、読売新聞の方からすすめられて読んでくださったそうです。そして、「あの通りのことが起きた」と言われたんですね。よく、僕の小説は、シュミレーション小説と呼ばれるのですが、自分としては、アウトリーチ小説と称されるような、小説の新しい分野として認めてもらいたいなあと思っています。」
アウトリーチという言葉は、英語訳では、「手を伸ばす」ことを意味し、福祉や医療で用いられてきた言葉です。最近では、地方自治体等で、町づくりに積極的に参加する人だけでなく、そうでない人にも情報を公開し、関心・意欲をもつきっかけとし、ソーシャルキャピタルにつなげていくことを表すようにもなりました。
また、国や政府から補助金を受けた研究者や研究機関が研究成果を国民に周知するために、国際会議や研究論文の発表等、さらに一般向けにも公開する活動をさします。近年では、研究者からの一方的発信ではなく、一般社会からのフィードバックも含めた双方向性を含めた活動を称するようになりました。
元々、科学者になりたかった高嶋氏は、米国留学で、「自分は日本人の中では、そこそこできても、世界規模では天才がこんなにいるんだ」と気づき、努力すれば報われる世界と、報われない世界があることを知ったといわれます。
帰国後、学習塾を経営し、多くの子ども達を見ていて、人には向き不向きがあり、受験向きの子かそうでないかが2時間も話をすると見えてきて、その子に合った、好きなことをさせることが、教育の原点ではないかと思うようになったそうです。
高嶋氏は、文章を書くこと、創ることが得意で、研究員時代は、論文数は誰にも負けないくらいの数を書かれたそうです。ご本人は、駄作ばかりと言われますが、自分のやったことを分析して書くという論文数をこなしたことは、現在の高嶋作品にも色濃く表れているように感じます。
そんな高嶋式文章創りは、いきなりPCに向かって、キーボードを打ち始めます。作品によっては、最終的に、結末が分かっている場合と分からない場合があり、高嶋氏の場合は、どちらかというと書きながら生まれていくことが多いようです。新聞小説掲載時には、編集者の方から「そろそろ一人殺しますか」という物騒な提案で、思いもよらない方向に作品が流れていくということもあったそうです。
文章とは、起承転結的文章として成立するための「なにか」をみつける力だと言われます。新聞を読んでいると、「これは作品として残すべき」と思うものが、ひとつはみつかると言われます。
一方、他の作家の作品を読んだのは、この10年で5冊ほど。それも、書評を頼まれたから…というマイペースぶり。それも、他の色を気にせず、自分の書きたいと思うことに集中しているという高嶋式文章創りの秘訣かもしれません。
とはいえ、書けないこともあるそうです。それは、「人を傷つけてしまうこと」
これを書いたら誰かが死ぬかもしれないと思うことは、書きたい衝動はあっても書けないと言われました。
以前は、メモを取ったり、テープレコーダーを持ち歩いたりということもあったそうですが、今は、一切、そういうことはなく、自分の頭の中にある世界で、文章を紡ぎ出すそうです。
作家には珍しく、仕事を会社組織にされ、「社員の給料を払う経営者の苦労も知っています」と、クリエイターとしての仕事をしながら、経営者の視点ももつ、バランスのいい感覚を持たれていらっしゃいます。
「果たして、本来の作家の姿ではないかもしれませんが…」とユーモア交じりにお話されますが、あらゆる事象を分析し、PCの前で文章に変換する高嶋式文章創りと同様、生活もまた、経営と表現の割合を分析しておられるのかもしれません。
本年の出版予定数をお聞きして、「一度に複数の作品が同時進行ということもあるかと思いますが、こっちの作品を書いていて、ここからは、次の作品という脳の切り替えは、非常に難しいのではないかと思うのですが…」と尋ねました。
「それが、全く苦でなく、はい!次は、こっち!という感じで、切り替えには全く苦労がありません」
コミュニティマネージャーは、生活の場の中で文章を書く仕事をすることが多く、日常との切り替え力の高さによって、文章を創り上げる速さが変わってきます。
インプット量も課題ではありますが、アウトプットする際の、文章の取り組みへの切り替えは、誰しも悩むところです。
高嶋氏は、古いものを含めPCを10台以上もお持ちで、原稿はクラウドで管理し、どこでも、いつでも、文章を書く体制を整えていらっしゃいます。昨年出版された『世界に嗤われる日本の原発戦略』は、当初、『僕が原子力を捨てきれない理由』だったそうですが、編集者のアドバイスで変更されたそうです。
「タイトルにこだわりとかありませんか?」とお聞きすると、「編集さんが、これで!と言うなら、それで行ってみよう!という気持ちで、こだわりとかあまりないかもしれません」
高嶋氏は、岡山県の山陽学園大学では「日本作家作品研究」の講義をされています。ここ数年、アジアからの留学生が多く、日本語がおぼつかない留学生に、税金を使って、日本文学を教えることに意味があるのだろうか?と思ったこともあったそうです。しかし、数年間、学生の皆さんと接する中で、留学生たちが卒業し帰国した後、日本はすごい!という想いを感じて、アジアの国から日本を見る目に変化を起こすならば、ある意味、税金を投入する価値はあるのだなあと思うようになったそうです。
こうした柔軟性ある思考の切り替えが、文章に向き合う時の切り替えの源でもあるのかもしれません。
高嶋氏は、「書きたいことは無尽蔵にあり、本を出版するだけでなく、マンガや映画、音楽等と組み合わせることをしたい」と言われます。
ビジネスプロデューサーもまた、組み合わせることで新規ビジネスを生み出す天才です。出版の世界にも、ビジネスプロデューサーが必要とされていることを再確認すると共に、文章を書く際の、作家の柔軟な視点を感じ、コミュニティマネージャーにとって大きな学びとなった取材を受けてくださった高嶋哲夫氏に、心から感謝します。